
はじめまして。30代主婦のひらりんと申します。
この度は数あるブログの中から当ブログに訪れていただきありがとうございます。
ここは、もともと管理人ひらりんが公立中学校の英語科教員として働いていた際に、「こんな教材があれば、中学生にとっても先生にとっても、英語学習の助けになったのになぁ」と思ったことをきっかけに立ち上げました。
もちろん中学生や先生の他に、中学英語を学びなおしたい!という方にもご利用いただければ嬉しいです。
なお、当ブログの使い方や立ち上げの経緯・思いなどは、下記のページで詳しくお話しております。
ぜひご一読ください。
これまでの経歴

これまでの私の人生を、英語学習の歩みとともにご紹介します。
略式プロフィール
中学校生時代
私の中学生時代は、英語の授業は週3時間でした。
授業や提出物は真面目に取り組むタイプだったため、評定は常に5を取れていました。
しかし、塾に行ってバリバリ問題量をこなしていた周りの同級生と比べると、自分の英語力自体が劣っているという自覚はありました。
週1回1時間の英会話教室には通っていましたが、声が小さくモジモジしていたのであまり上達しませんでした。
(月謝を払ってくれた両親、本当にごめんね)
英語検定は3級までは取れましたが、中3で受けた準2級は1次試験の段階で不合格でした。
(周りの友達は合格していて羨ましかった)
この頃から
という悩みがうっすらと出てきました。
そんな時、中3の夏休みに1か月間、アメリカ・カリフォルニア州にホームステイに行くことになりました。
様々な人種・考え方の人と出会うことができ、15歳の私にはとても刺激的な体験でした。
そしてこの経験を通して、
ということを痛感したのです。

この経験をもってしても、英語力が飛躍的に上がることはありませんでした(笑)
しかし、確実にその後の私の人生の考え方やメンタルの基盤にはなってくれました。
高校生時代
公立中学校を卒業後、家から一番近い公立高校を「朝寝坊できそう」という理由のみで選んだ私。
定員割れによりギリギリ入学することができました。
地元でそこそこのレベルの進学校だったため、最初のテストの校内順位は下位1割に入るという始末…
ここでようやく塾に通うことの必要性を感じ、両親にお願いして個人経営の塾に入りました。

塾に入ってよかったことは、ズバリ「勉強の仕方」を学べたこと。
といったことを教えていただきました。
しかし、もともとの能力の限界+中学英語の基礎ができていなかったこともあり、
大学受験は大学共通テスト(当時のセンター試験)で大敗しました。
(筆記4割、リスニング3割しか取れず)
前日の模擬試験では8割取れていただけに、本当に悔しい思いをしました。

思えば英語学習からフェードアウトしたのは、この大学受験がきっかけだったように思います。
大学生時代
私立大学の入試に合格し、国公立は断念したものの、なんとか志望ランクの大学に進学することができました。
しかし英語学習への熱はどこへやら。
「大学生になったら留学したいなぁ…」というぼんやりとした夢も忘れてしまい、サークル活動とバイトに明け暮れる日々。
この頃の私は、家庭教師のバイトの際に、Yes, is it. なのか Yes, it is. なのかという語順すら思い出せませんでした。
そのような中、両親との約束で、学校の先生になる気もないのに中高の教員免許(社会科・地歴)を取得。
雑学・歴史好きが功を奏し、また、周りの友達の助けもあり、なんとか取得することができました。

社会学部だったため、社会科しか選択肢になかったという消極的な理由でしたが、教職ゼミでは素敵な教授に教わることができてラッキーでした。
そしてここで取得したこの教員免許が、その後の人生で思わぬ効力を私に与えてくれました。
社会人時代(20代前半~半ば)
就活は大苦戦。
リーマンショック後の就職氷河期に苦しみながらも、地元に戻って就職しました。
入社間もない頃、さっそく私に英語学習の転機が訪れました。
会社主催のイベントに、数十~数百人規模で、海外からの招待客がやってきたのです。
英語を使わざるを得ない数週間。
「トイレはどこ?」
「タクシーはどうやって手配するの?」
「○○はどこで買える?」
中学英語程度の語学力で対応できるはずの質問ばかりですが、私は全く対応できませんでした。

悔しいし情けない…
なんでもっと真面目に英語を勉強してこなかったんだろう…
イベント期間終了後も、このような後悔ばかりが頭をよぎる日々。
私はここで一念発起して、地元の英会話スクールに入会しました。
最初のプレースメントテスト(Placement Test)を経て、初中級クラスに入りました。
文法のレベル的には簡単に理解できました。
しかし、ネイティブの先生との会話では自信が持てず、ストレスを抱えながらの授業でした。
それでもこの英会話スクールには、約3年お世話になりました。
社会人4年目の春に転職し、再び英語を使う機会がありましたが、以前ほどの抵抗感は薄れている気がしました。
社会人時代(20代半ば~)
社会人5年目になると、新入社員(18~23歳くらい)の若者と接する機会が増えてきました。

みんなすごくキラキラしてる!
もっとこういう若者のことを応援したい!
という思いから、眠っていた教員免許の存在を思い出し、人を育てる仕事をしてみたいと思うようになりました。
その時、「やっぱり人生後悔したくないから留学したいな」という思いもあり、英語学習の熱が高かった私。
通信制大学で外国語科(英語)の免許を追加で取る!という目標を立て、実際に1年間で中高の英語の免許を取得しました。

どのように1年間で取得できたかについても、後々記事にまとめたいと思います。
社会人時代(無職・留学)
免許を取得した後、勤めていた会社に後ろ髪をひかれながらも退職。
退職翌日から、オーストラリアのクイーンズランド州ブリスベンに1年間の語学留学をしました。(善は急げ)
この街を選んだのは、英会話スクールでお世話になった先生夫婦が住んでいたから。
人の縁って不思議なものですね!
メールでやり取りする中で、留学を考えていると相談したところ、「じゃあウチにおいでよ!」と言っていただきました。
彼らの家から語学学校に通い、在宅ワークのお仕事を日系の企業にいただいてバイトもしつつ。
初中級クラスから中級クラス卒業までに、だいたい15週くらいかかりましたが、着実に会話力を高めていきました。
その後、アカデミック準備コース的なクラスで10週間勉強した後、ケンブリッジ英検FCE(B2First)の対策クラスに入りました。
自分より若い子から年上の人まで、様々な人種・国籍の生徒の中で揉まれたおかげで、10週間後の試験で合格することができました。

辛いこともたくさんあった留学生活でしたが、行ってみて本当によかったです。
私自身よりも先生たちの方が合格を喜んでいました。
私の英語力では難しい(It’s gonna be challenging.)と言われていたので、合格すると思っていなかったのかもしれません(笑)
社会人時代(留学後~教員)
留学から帰ってきてすぐに、翌年度採用の教員採用試験を受験しようと、再び勉強を開始。
運よく地元の公立中学校の英語科枠で試験に合格し、留学終了の翌年4月から教諭としての勤務が始まりました。
(それまでの間は、子ども英会話スクールの講師や、地元の公立高校の非常勤講師をしながら生計を立てていました。)

中学校での勤務は、英語力はもちろんですが、何よりも授業力が大事。
そのためにも生徒理解が非常に大切。
あたりまえのことですが、英語さえできればよいわけではありません。
実際に中学生の彼らが、どのようなことに悩み、どのような不安を抱えながら学習に向かっているのかを理解する必要がありました。
公立の中学校には様々な学力や家庭状況の生徒がいて、一斉に授業しなければなりません。
理解力が高い子やそうでない子が一緒に学び、楽しめる授業とは?
今でも考え続けている永遠のテーマですが、そのような中でどうしても「これは必要だ」と思ったのが…
パターンプラクティスです。
現在の学習指導要領やトレンドとして、授業内でのパターンプラクティスはあまり推奨されていないと感じます。
しかし、語学学習にとって、定着するまで粘り強くパターンプラクティスをすることはとても大切なのではないかと思います。
小5から教科として扱われるようになった英語ですが、小学校の授業内で書く練習をする時間を確保することは難しいのが現状です。
そのような中、中1から学ぶ英語の言語材料(文法事項、英単語など)の量は飛躍的に増えています。
勉強に苦手意識をもつ子どもたちが、早々に英語を諦めてしまう姿を見ても頷けます。

ゆとり世代真っ只中の私よりも、よっぽど難しいことを勉強しているなぁ…という印象です。
今の小中高生は大変ですよね。
現在
そのようなことを考える中、結婚や妊娠によって働き方を見直す必要があり、妊娠9か月で公立中学校を退職しました。
時間と気持ちに余裕が出てきたため、趣味のグラフィックデザインや拙いWEBの知識を活かして何かできないか…と考え、このブログを立ち上げることにしました。
現在は0才の娘を育てながら、英語学習を続けています。
読者・ユーザーの皆さまへ
このような思いをモットーに、今後も更新を続けていきます。
どうぞよろしくお願いいたします。
その他の情報
教員になる前は、広告デザイン関係のお仕事をしていました。
販促物(チラシ・フライヤー・名刺・パンフレット・WEB広告など)のご相談も承っております。
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